初代から当代まで人生を建築にかけ、伝統技術を駆使し、造った建築群・・・その実績と歩み
山梨で伝統技術を代々受け継ぐトップホームズの歩み
日本の夜明けが迫っていた幕末の世。ペリー提督の来航の翌年、坂本龍馬が江戸での剣術修行の後、土佐藩に帰郷した安政元年(1854年)に宮大工であった初代:外川藤助(とがわ とうすけ)が現在の富士河口湖町にて創業。現在の弊社の伝統技術の元を築き、施工建物は多数あると伝わっている。
初代 外川藤助~二代目 外川作太郎
初代:外川藤助の息子で2代目:外川 作太郎(とがわ さくたろう)は技術を継承し、その技術にさらに磨きをかける為に京都や奈良まで勉強に行ったと伝わっています。
県内で施工建物が現在も確認できるのは、『白山神社拝殿』 『富士浅間神社拝殿』などがある。(トップホームズの寺社建築の施工事例はこちらをご覧ください)
三代目 外川殿吉
明治・大正・昭和の激動の時代。後に外川家中興の祖と言われる3代目:外川 殿吉(とがわ とのきち)が現れる。
3代目:外川 殿吉は、2代目:外川作太郎の息子であり、3代目として技術を継承。2代目と同じく、技術にさらに磨きをかける為に京都や奈良まで修行に行った。歴代棟梁の中で宮大工である外川家の名を一段と有名にしたのがこの人物です。
生きた彫刻を彫る事ができる、彫刻 を得意とする棟梁としても有名であった。
現在、施工建物で確認できるのは『妙法寺山門』 『如来寺本殿』などがあり、その他にも2代目と施工した『白山神社拝殿』 『富士浅間神社拝殿』などもある。
左から妙法寺山門、白山神社拝殿、富士浅間神社拝殿。クリックで拡大
四代目 外川健児
3代目:外川 殿吉の息子であり、5代目(現社長)の父である4代目:外川 健児(とがわ けんじ)は、継承者として技術を習得。
3代目から受け継いだ宮大工の建築技術を神社やお寺だけでなく一般住宅にも積極的に生かし、入母屋造りの住宅を数多く手がけてきたのが4代目の外川健児である。
施工物件で確認できるのは、『浅間神社社務所』『白山神社手水舎』 『達磨堂(六角堂)』『白山神社社務所』などがある。
左から浅間神社社務所、達磨堂(六角堂)、白山神社社務所。クリックで拡大
五代目 外川秀之
4代目:外川健児の息子である5代目:外川秀之(現社長)が宮大工の技術を継承。
現在、宮大工としては現役から引退し、大工育成の指導者として活躍しているが、現役時代は3代目同様、彫刻を得意としており、やはり『生きた彫刻を掘る棟梁』としても評判であった。
一級建築士であり、一級建築施工管理技士・一級土木施工管理技士・宅地建物取引士等、土地建物に関する多くの国家資格を有する。
そのノウハウを生かし、4代目から受け継いだ宮大工の建築技術を融合し、社寺はもちろん、一般住宅や別荘建築に生かしていきたいと考え、『宮大工の技術で建てるスーパーログハウス』『団塊世代の古民家風平家』『子育て世代の幸せ住宅』などを開発し、多くの施工実績を残している。
5代目:外川秀之も4代目とともに手がけています。左上から、如来寺手水舎、白山神社社務所(2点)、六角堂(2点)。クリックで拡大
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